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002 同世代の橋
 
建築家の役作り その二

 石井には、建築の歴史が背負う荷はあまりに重苦しく感じられたし、建築そのものの動きを鈍重にしていると思えた。また、建築表現につきまとう、作家個々人のオリジナリティの表現、という厄介な主張も、彼の身動きを取りづらくさせるものに感じられた。勿論、二つは密接につながった重苦しさ、である。それらの重荷を一気に軽さに転換することを目指したかった彼が取った方法は、同世代のオリジナリティあふれる(とされる)作家たちの作品の表情をコピーし、集めて一緒くたにしてしまうことであった。それが、石井の言う軽さ、の本体だ。
ガラスという物質が人々に与える透明感、というイメージから離れて軽さを表現すること。建築を発想してゆく経路のひとつが垣間みられるだろう。

 建築家の選択/非選択の一例を眺めてみたのだが、オリジナリティ、から遠く離れようとする試みにおいて、彼は独自の手法を探り当ててゆく。次に確かめたいのは、石井が取った具体的な設計の中にある取捨選択の痕跡だ。

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 おそらくは石井なりの配慮であって、各部屋のヴォリュームを検討した結果にもよるのだと思うが、各建築家達(の作品の模写)に割り振られたサイズには大きな差がつかないようにしてある。配置に関しても、自身の作品である「54の窓」のコピーだけは任意の位置にし、あとは上からあいうえお順に並べてある。ひとつの建築の中に12+1の作品を同居させることが目的であるから、順当な方法、と考えることも出来る。彼に言わせれば、あとで「何でオレのやつがアイツの下なんだ」とか「アイツと隣なんてやめてくれ」とか言われないためだ、ということになる。

 しかし、ここでも、石井の話には一端耳を塞いでしまうことにしたい。ひとつひとつの作品のコピーに同じ程度の面積を割り当てる、という作業の中には、建築家のもうひとつの意識があらわれてもいるからだ。

002 同世代の橋

002 同世代の橋

 繰り返しになるが、石井がここで強調したかったのは、同世代建築家達の作品同士の中にある類似、という点である。12+1の作品が似ている、ということを端的にファサードのうちに表現するには、それぞれの持つ違い、を均してしまう必要があった。言い方を替えれば十分同じに見えるようそれぞれの調子を整える必要があった。サイズをそろえる、というのはその作業ひとつである。

 サイズをそろえるのと同時に、石井はもとの作品が持っていたスケールも操作した。もとの建築にはそれぞれ別な役割があったが、ここでは、機能的には、室内外の距離感を調整する役割を果たし、外へ向かっては皆が顔を揃えていれば良い。もとの建築にあったスケールを律儀に守らなくたって構わないのだ。しかし、スケールの操作は、次の操作へと必然的につながることになる。それは、ディテールの省略、という操作だ。また合わせて、素材も均一にした。スケールの操作/ディテールの省略/素材の画一化。スケールも、ディテールも、素材も互いにぶつかりあうような角はしっかりとそぎ落とされたため、12+1の建築の統合は、形だけの接続に終わり、思いのほかギクシャクした印象を与えない。こうして野武士とさえ言われた個性派俳優たちは、なんとも居心地悪そうに、ひとつところにおさまることになったのだ。(s)

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